2008年 01月 31日
どうにかしたい悪い癖 |
先週に引き続き、エリザベスのレッスン。今日は他に予定のない夕方に行きました。
エリザベスも私の後は誰もいないようで、いつも以上にのんびりと話しながらのレッスンでした。
今日は、チェアワークから始まり、ランジ、スクワットなど思いつくままに少しづつやってみました。そして短いテーブルワークも。
でも、今回興味深かったのは、話の内容がいつもの世間話中心ではなく、珍しく真面目なアレクサンダー・テクニックについてだったことです。
話題になったのは、ランジや椅子の背に手を置くなどのいわゆるFMアレクサンダーの好んだ「型」のような練習の、教師による解釈の違いについて。
あとは、日本のアレクサンダー・テクニックについてや、ボディ・マッピングとアレクサンダー・テクニックについてなどなど。
特に、ボディ・マッピングに関しては、私にとっては、アレクサンダー・テクニックの重要にしてすべてである本質とはまったく異なるアプローチだと思っています。
自分のからだを知るためのとても優れた手段であり、もちろん有用なものだとおもうので、ちょっと拝借したりすることもあったのですが、自分の教えにおいては、ボディ・マッピングとアレクサンダーテクニックはかなりはっきりと区別しています。とは言え、生徒さんが、区別しているかどうかは別なのですが・・
ただ私の経験と印象では、アレクサンダー・テクニックの働きかけで得られる変化はからだの中心から湧き起こる「life force」を直接促し、ボディ・マッピングで得られる変化は筋肉の動きを変化させ流れを促すのではないかと思っています。
ボディ・マッピングに関しては、人にそれを教える程の経験も深みも知識も無いので、私にとってはこのような違いとして現れてしまうのかもしれません。
「life force」というのはなんだかあやしい言葉ですが、ひとたびそれが解放されればはっきりと手を通して、または目で観察できるものです。
でも実際は、それが起こるまでにはちょっと時間がかかります。教師側の「抑制」がとても必要とされますが、それさえできれば確実に得られるものでもあるのであり、生徒と教師が平等に得られるものなので、それによって教師が消耗してしまうこともありません。
エリザベスは、どんなに疲れて弱った状態でいたとしても、震える手で何人かにレッスンをした後には別人のようにエネルギッシュになっていることで有名ですが、この「Life force」を生徒と一緒に確実に起こすことができるからなのだと思います。
この「life force」についてエリザベスとはっきりと言葉で共有できるようになったのは、つい近頃です。イラーナの学校でのいろいろな経験も変化の質の「違い」を明確にしました。
8年間ひとりで疑心暗鬼で教え続けていましたが、今再び自分の師のもとでなんの遠慮もなく本心をさらけ出して学べるありがたさをひしひしと感じます。
ボディ・マッピングに関しては、その人自身が時間をかけて自分自身を観察して、自分だけのマップを作っていけるのが理想ではないでしょうか。1ミリでも骨の形状が違ったり、運動の量が違ったりするだけでもその人にとって機能的な動きはまったく違ったバランスをもって現れてくるのです。これは私にとってはとても着手できない膨大な領域です・・・
エリザベスも私の後は誰もいないようで、いつも以上にのんびりと話しながらのレッスンでした。
今日は、チェアワークから始まり、ランジ、スクワットなど思いつくままに少しづつやってみました。そして短いテーブルワークも。
でも、今回興味深かったのは、話の内容がいつもの世間話中心ではなく、珍しく真面目なアレクサンダー・テクニックについてだったことです。
話題になったのは、ランジや椅子の背に手を置くなどのいわゆるFMアレクサンダーの好んだ「型」のような練習の、教師による解釈の違いについて。
あとは、日本のアレクサンダー・テクニックについてや、ボディ・マッピングとアレクサンダー・テクニックについてなどなど。
特に、ボディ・マッピングに関しては、私にとっては、アレクサンダー・テクニックの重要にしてすべてである本質とはまったく異なるアプローチだと思っています。
自分のからだを知るためのとても優れた手段であり、もちろん有用なものだとおもうので、ちょっと拝借したりすることもあったのですが、自分の教えにおいては、ボディ・マッピングとアレクサンダーテクニックはかなりはっきりと区別しています。とは言え、生徒さんが、区別しているかどうかは別なのですが・・
ただ私の経験と印象では、アレクサンダー・テクニックの働きかけで得られる変化はからだの中心から湧き起こる「life force」を直接促し、ボディ・マッピングで得られる変化は筋肉の動きを変化させ流れを促すのではないかと思っています。
ボディ・マッピングに関しては、人にそれを教える程の経験も深みも知識も無いので、私にとってはこのような違いとして現れてしまうのかもしれません。
「life force」というのはなんだかあやしい言葉ですが、ひとたびそれが解放されればはっきりと手を通して、または目で観察できるものです。
でも実際は、それが起こるまでにはちょっと時間がかかります。教師側の「抑制」がとても必要とされますが、それさえできれば確実に得られるものでもあるのであり、生徒と教師が平等に得られるものなので、それによって教師が消耗してしまうこともありません。
エリザベスは、どんなに疲れて弱った状態でいたとしても、震える手で何人かにレッスンをした後には別人のようにエネルギッシュになっていることで有名ですが、この「Life force」を生徒と一緒に確実に起こすことができるからなのだと思います。
この「life force」についてエリザベスとはっきりと言葉で共有できるようになったのは、つい近頃です。イラーナの学校でのいろいろな経験も変化の質の「違い」を明確にしました。
8年間ひとりで疑心暗鬼で教え続けていましたが、今再び自分の師のもとでなんの遠慮もなく本心をさらけ出して学べるありがたさをひしひしと感じます。
ボディ・マッピングに関しては、その人自身が時間をかけて自分自身を観察して、自分だけのマップを作っていけるのが理想ではないでしょうか。1ミリでも骨の形状が違ったり、運動の量が違ったりするだけでもその人にとって機能的な動きはまったく違ったバランスをもって現れてくるのです。これは私にとってはとても着手できない膨大な領域です・・・
by ericolex2323
| 2008-01-31 22:05
| バレエクラス