2016年 04月 29日
2013年7月 最後のレッスン |
6月の訪問の時に感じたエリザベスの弱弱しさに、どうしてもすぐに行っておかなければならないという思いから逃れられず、私は無理やりロンドンに用事を作り、仕事をキャンセルして翌月再びエリザベスに会いに行った。
木々の命がざわめいているような勢いのある初夏の様子はすっかり落ち着いて、なごやかでしっとりとした夏の緑に覆われたオックスフォードに帰ってきた。
いつもと同じようにドアを開けてくれたエリザベスを見るなり、私の心配は吹き飛んだ。
私の知っている、いつもどおりの生き生きとしたエリザベスが満面の笑みで迎えてくれた。
その瞬間、6月以来、心からほっとした。やっぱり大丈夫だったんだ、と。
お湯を沸かしてお茶の用意をしてくれるエリザベスの見本のような動きは、あまりに自然で、なんということなくて、彼女がアレクサンダー・テクニックとともに生きてきて、生きることがアレクサンダー・テクニックそのものだということを教えてくれる。
お土産に持って行ったFMアレクサンダーの好物のシードケーキと共に紅茶をいただきながら、いつものようにいろいろな話をした。
最近出版された本のこと、家族のこと、ロンドンのお芝居やバレエの舞台の話、ご近所さんの話、ゴシップなどなど。もちろんアレクサンダー・テクニックの話も。
そして、約束していたテーブルワークを今日は私がエリザベスに。
その日の私のワークは正直あまり良いものではなかった。
しばらくテーブルに横になってるエリザベスに手を置きながら「なにか言いたいことがあったら何でも遠慮なく言ってね」と言葉をかけた。
少しの間をおいて、エリザベスが語り始めたのは彼女の母親としての家族への後悔の思いだった。
「あのとき、あんなことを言うべきじゃなかった・・・」
私はエリザベスに手をふれながら、少し驚きながら聞いていた。
なぜ、急にそんな話を私にしたのかはわからない。
とつとつと話す彼女の言葉に、「何も心配ない、みんな大丈夫だから」と答えたと思う。
お互いしばらく黙ったあと、エリザベスは「こんどはわたしの番ね」と言って起き上った。
エリザベスの手が、みぞおちと首にふわりとふれる。いつふれたのかわからないほど柔らかい。
体の弱弱しさは変わらないけれど、生き生きとした温かさが感じられる。
伝えられているのは、エリザベスそのもの。エリザベスを生きてきた人間そのものがここにいる。それ以外は何もなかった。
これがひと、というものなのかと思った。
とても静かに、ふたりのレッスンが終わった。
・・・・
帰り際、
「ワークを受けるって、なんて素敵なの。今度は二週間ぐらい家に泊って毎日ワークをしましょうよ。」
「そうね。今度はそうするね。」
「次はいつ来るの?」
「9月か10月に来られるようにがんばるね。」
「なるべく早く来てね。」
・・・・
エリザベスが、次の訪問の時期を聞くのは初めてだった。
もう亡くなってしまったもう一人の恩師、ペギーも最後のレッスンの時にめずらしく次の予定を聞いた。
遠く日本に住んでいて、次の予定はすぐにはわからないって知っているはずなのに。
・・・・
エリザベスのフラットからの帰り道、数え切れないほど歩いた日暮れの近づくポートメドウで、安心と、哀しさと、寂しさと、喜びの混じったような、よくわからない気持ちのまま無表情に歩きながら浮かんだ言葉をツイッターに書き込んだ。(筆記用具がなかった・・)
*師であるエリザベスに会ってきた。
たくさん話をして、今回はお互いにワークもした。
前回に引き続き、non-doingとしか表現できないワーク。
お互いの存在そのものを共有できる喜びに満ちた体験。
これ以上ないような力強いサポートが、今、わたしの中にある。
*とても幸せで、とても哀しい。今は大切だ。
*ああ、もっと練習したいなあ。いろいろなことに関して。
・・・・
最後のレッスンに私は、命のおすそわけをもらった。
FMからエリザベスへ、そして次はわたしから、その大切なものを伝えていくことが、私の夢になった。
Thank you Elisabeth.
わたしのそのままと一緒にいてくれて、私がわたしであることをとてもほめてくれた世界でただひとりのひと。
わたしはエリザベスのすべてを信頼していた。エリザベスはエリザベスでいてくれればそれでよかった。
木々の命がざわめいているような勢いのある初夏の様子はすっかり落ち着いて、なごやかでしっとりとした夏の緑に覆われたオックスフォードに帰ってきた。
いつもと同じようにドアを開けてくれたエリザベスを見るなり、私の心配は吹き飛んだ。
私の知っている、いつもどおりの生き生きとしたエリザベスが満面の笑みで迎えてくれた。
その瞬間、6月以来、心からほっとした。やっぱり大丈夫だったんだ、と。
お湯を沸かしてお茶の用意をしてくれるエリザベスの見本のような動きは、あまりに自然で、なんということなくて、彼女がアレクサンダー・テクニックとともに生きてきて、生きることがアレクサンダー・テクニックそのものだということを教えてくれる。
お土産に持って行ったFMアレクサンダーの好物のシードケーキと共に紅茶をいただきながら、いつものようにいろいろな話をした。
最近出版された本のこと、家族のこと、ロンドンのお芝居やバレエの舞台の話、ご近所さんの話、ゴシップなどなど。もちろんアレクサンダー・テクニックの話も。
そして、約束していたテーブルワークを今日は私がエリザベスに。
その日の私のワークは正直あまり良いものではなかった。
しばらくテーブルに横になってるエリザベスに手を置きながら「なにか言いたいことがあったら何でも遠慮なく言ってね」と言葉をかけた。
少しの間をおいて、エリザベスが語り始めたのは彼女の母親としての家族への後悔の思いだった。
「あのとき、あんなことを言うべきじゃなかった・・・」
私はエリザベスに手をふれながら、少し驚きながら聞いていた。
なぜ、急にそんな話を私にしたのかはわからない。
とつとつと話す彼女の言葉に、「何も心配ない、みんな大丈夫だから」と答えたと思う。
お互いしばらく黙ったあと、エリザベスは「こんどはわたしの番ね」と言って起き上った。
エリザベスの手が、みぞおちと首にふわりとふれる。いつふれたのかわからないほど柔らかい。
体の弱弱しさは変わらないけれど、生き生きとした温かさが感じられる。
伝えられているのは、エリザベスそのもの。エリザベスを生きてきた人間そのものがここにいる。それ以外は何もなかった。
これがひと、というものなのかと思った。
とても静かに、ふたりのレッスンが終わった。
・・・・
帰り際、
「ワークを受けるって、なんて素敵なの。今度は二週間ぐらい家に泊って毎日ワークをしましょうよ。」
「そうね。今度はそうするね。」
「次はいつ来るの?」
「9月か10月に来られるようにがんばるね。」
「なるべく早く来てね。」
・・・・
エリザベスが、次の訪問の時期を聞くのは初めてだった。
もう亡くなってしまったもう一人の恩師、ペギーも最後のレッスンの時にめずらしく次の予定を聞いた。
遠く日本に住んでいて、次の予定はすぐにはわからないって知っているはずなのに。
・・・・
エリザベスのフラットからの帰り道、数え切れないほど歩いた日暮れの近づくポートメドウで、安心と、哀しさと、寂しさと、喜びの混じったような、よくわからない気持ちのまま無表情に歩きながら浮かんだ言葉をツイッターに書き込んだ。(筆記用具がなかった・・)
*師であるエリザベスに会ってきた。
たくさん話をして、今回はお互いにワークもした。
前回に引き続き、non-doingとしか表現できないワーク。
お互いの存在そのものを共有できる喜びに満ちた体験。
これ以上ないような力強いサポートが、今、わたしの中にある。
*とても幸せで、とても哀しい。今は大切だ。
*ああ、もっと練習したいなあ。いろいろなことに関して。
・・・・
最後のレッスンに私は、命のおすそわけをもらった。
FMからエリザベスへ、そして次はわたしから、その大切なものを伝えていくことが、私の夢になった。
わたしのそのままと一緒にいてくれて、私がわたしであることをとてもほめてくれた世界でただひとりのひと。
わたしはエリザベスのすべてを信頼していた。エリザベスはエリザベスでいてくれればそれでよかった。
by ericolex2323
| 2016-04-29 03:54
| エリザベス