2010年 08月 03日
エリザベス訪問・1(2010年) |
私が毎年二回ロンドンに行く最大の理由は、アレクサンダーテクニックの師匠であるエリザベスに会うため。
昨年12月で95歳になったエリザベスはおそらくいまだに現役で教えている、FMアレクサンダー本人にトレーニングを受けたただ一人の教師です。
数年前にもう一人の大切な師匠を亡くした反省から、行けるうちに無理をしてでも会いに行こうと決心しました。
結局5年間暮らしていたオックスフォードに到着し、そこからバスでエリザベスの住むフラットへ。
エリザベスは、とっても元気に両手を広げて迎えてくれました。
エリザベスの家族の話、友人たちの近況などを、お茶とケーキを頂きながら二時間ほど話し込み、楽しい時間を過ごしました。
今年は毎年教えに行っていたアメリカでのワークショップには行かないと言っていたので、少し体調を心配していましたが、それに反して、とっても元気。あんまり元気だとかえって心配になってしまう・・・って、元気に越したことはないんですが。
私に会った次の週から、南フランスにホリデーに出かけるそうで、始終楽しそうでした。
結局、世間話をしにいったのかよー!
まあ、そうなのですが、ふと思い立って、せっかく行ったんだからちょっとアレクサンダーテクニックに関することも聞いておこうと、気を取り直して、ちょっと気になっていた「脇」について聞いてみました。
エリザベスは、脇のあたりに手を置くワークをけっこうするのですが、そのワークを受けた教師や、生徒たちが、「脇をあげる、脇があがった」という印象をもってしまい(実際がるのですが)、あとで実際に自分で脇を持ち上げてしまったり、「脇を上に」「脇は上」という表現を使って教えているのを何度も見てきたのです。
私としては、あのエリザベスの脇のあたりに働きかけるワークは、決して脇をあげることに働きかけているのではないと解釈していたので、ちょっと確認してみました。
その結果は・・・やはり「脇」に働きかけるのではなく、肋骨を開放していたのでした。それにより体側を含む胴体全体が長くなり、さらに呼吸の動きを促進することによて、脇はふわっと広がり、浮き上がるような感じがするのです。
「あくまでも、呼吸に働きかけていて、脇はあげたりしない。脇は上げようとしてもあげられないわよ。」とエリザベス。
私も脇あたりに直接手を置くことはよくあるのですが、この本来の目的がずれると同じように見えて、全然ちがうものになってしまうような気がします。
エリザベスのワークはしばしば鮮烈な印象と変化をおこすので、時としてそちらのほうが強烈に残ってしまうこともあるようです。
とりあえず、弟子として一安心。とんでもない勘違いをしていなくてよかった。
トレーニング中は、一人ひとりが、自分で自分のやり方を見つけなさいと言われていたので、直接「こうです」「こうやりなさい」ということは言われていなませんでした。
おそらくこうだろうとわかっていても、こうやって、ふと思ったことを実際に確認できるのは、本当にありがたくて、少しぐらい大変でもまたすぐにエリザベスに会いに行かなければと思う理由のひとつです。師はいつまでもいるとは限らないのですから・・・
また、「こうだ」と教えられなくても、何が起こっているのか、何をしているのかがわかるのは、エリザベスを始めとする私の先生たちが、言葉や理屈ではなく、エリザベス自身がFMアレクサンダーから、からだを通して伝えられた経験と技術を、同じように私に伝えてくれたからだと思います。
トレーニングを終えて教え始めてからも、エリザベスと過ごした時間のなかで無意識に私のなかに伝えられたものを、今度は自分の日常の中で確認して行く作業を続けています。
知らないうちに自分に伝えられたものの豊かさと、確かさには自分でも驚くことがしばしばあります。
このFMアレクサンダーから続く「目に見えない遺産」みたいなものを、細々ながら深めていくことが自分の出来ることであり、やりたいことかなあと思います。
エリザベスに会いにいくと、相手にわかってもらいたいという自分の満足のために、必要以上にわかりやすくしようとしたり、結果を出そうとしたりすることが、自分のやりたいこととかけ離れていることに気がつきます。
私より、わかりやすく上手く教えられる教師はたくさんいるので、自分は「わかりにくい教師」を売り文句にしてやっていこう!などど変に開き直ってしまった今回の訪問でした。
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by ericolex2323
| 2010-08-03 02:21